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知ってる!? 元号よもやま話【JAコラム】

2019年02月20日コラム

知ってる!? 元号よもやま話

 

監修/山本博文(東京大学史料編纂所教授) イラスト/信吉

「平成」もいよいよ終わり。次の元号への期待も高まるこの頃です。ところで元号っていつからある? どうやって決めてきたの? 日本人なら知っておきたい、元号を巡るミニ知識をご紹介!

 


1.元号制度は中国から伝わった

元号は紀元前115年ころ、前漢の武帝が自分の治世を「建元」と名付けたのが始まりです。日本へは西暦600年前後に中国のさまざまな文化や制度と共に伝わってきました。朝鮮半島やベトナムでも取り入れましたが、今も元号を使うのは日本だけです。

 

2.元号を使う前はどうしていた?

元号導入以前の日本では、人々は年を言い表すには干支(えと)を使いました。でも干支は60年、十二支だけだと12年で一巡りします。戌(いぬ)年といっても去年? 13年前? これは公文書など記すには不便。ただし庶民の間では江戸時代まで干支の方が一般的でした。

 

3.日本初の元号は「大化」

日本で最初の元号は、中大兄皇子が蘇我入鹿を討った乙巳(いっし)の変の後。人心を一新するため、元号を「大化」とし、大化の改新が進められました。それ以降、平成まで247の元号が定められています。

 

4.期間が一番短い元号は2カ月強!

江戸時代まで、元号は災害、遷都、戦乱、祥瑞(しょうずい)などさまざまな理由で改元されました。一番短いのは、2カ月14日間の「暦仁」、次は3カ月と15日間の「天平感宝」。最も長いのは天皇の即位から薨去(こうきょ)まで続いた「昭和」の62年13日間です。

 

5.使う文字は中国の古典から

平安時代以降の日本の元号は全て『書経』『易経』『文選』『後漢書』など中国の古典が出典元。「平成」は『史記』と『書経』にある文字です。江戸時代末期までは漢文の専門家である文章博士(もんじょうはかせ)が候補を出して天皇が承認、今は学識経験者の案を内閣で検討します。

 

6.鳥やカメ、温泉から名付けた元号

古代にはシンプルな元号もたくさんありました。「白雉(はくち)」は白いキジ、「霊亀」は不思議な模様のカメが献上されたのがきっかけ。「和銅」は秩父で発見された自然銅で、日本初の貨幣・和同開珎を造った年だから。また「養老」は天皇の行幸先で霊泉(温泉)が見つかったことから名付けられました。

 

 

7.2種類の元号を使った時代

同時に2人の天皇が並立した南北朝時代、元号も2種類ありました。1331年から1392年までのことです。南朝が「元弘」のときに北朝は「正慶(しょうぎょう)」、「弘和」のときは「永徳」という具合。内戦状態の国内で南北朝どちら側に付いていたかは、使った元号で明らかです。

 

8.ハレー彗星(すいせい)や大地震で改元!

平安時代の「天養」が、わずか1年4カ月強で「久安」になったのは、ハレー彗星が出現したからです。江戸時代の「元禄」は大地震や大火事が続いて「宝永」に。ところが3年後には富士山大噴火が起きてしまいました。

 

9.なぜ一世一元になった?

元号が一世一元(1人の天皇在位中は1元号)になったのは明治時代からです。以前のように頻繁に変えるのはやめるべきと考え、中国の明時代の制度を取り入れたのです。そのときから庶民にも元号が浸透。同時に導入された太陽暦(西暦)と両方を使うようになりました。

JA広報通信1月号より

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