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水飯から湯漬け、お茶漬けへ【JAコラム】

2021年06月20日コラム

伝承料理研究家●奥村彪生

東南アジアのタイで、食欲が減退すると飯に水を掛けて食べると聞いて驚きました。メコン川の流れを見ると、水当たりが心配になりました。

日本ではすでに平安時代に水飯(すいはん)を食べているから、水飯の歴史なら日本の方が、タイより古いと思います。「今は昔」で始まる『今昔物語集』で、三条朝成という大兵の公家さんが痩せるためにどうしたら良いかと医者に相談したところ、温かい飯に冷水を掛けて食べる水飯が良いと勧められ、それではとアユのなれずしとウリの漬物を菜(さい)にして食べたら、うまくて何杯もお代わりをしました。それを見た医者はこれは痩せるどころかかえって太ってしまうと言ってさじを投げました。同じく平安時代には湯漬けもありました。これは清少納言が書いた『枕草子』に出てきます。冷や飯に熱湯を掛けるだけ。

安土桃山時代、いわゆる戦国時代になると抹茶の文化が盛んになります。その抹茶を飯に振り掛け、湯を注いで食べる茶漬けが出てきます。

やがて中国大陸の福建省からインゲンマメでおなじみの隠元禅師が元禄時代以前に日本にやって来て、その後、山城国宇治に萬福寺を建立し、茶葉をいった煎茶を始めます。ここにいた永谷宗円がこの煎茶を売り歩き、全国に広め、日常の暮らしに欠かせない飲料になりました。

この煎茶の湯を飯にぶっ掛けたのが茶漬けです。元禄時代の初めごろ、名古屋城の畳奉行をしていた武家・朝日又左衛門の日記に初めて出てきます。そのことにより、京坂やお江戸の庶民の夕食はとうとうお茶漬けサラサラになりました。

今も食欲のないときは漬物を友にしたお茶漬けは食べ良いし、一杯やった後の口直しにももってこい。時には「永谷園」のお世話になることも。そりゃ当たり前、煎茶を売り出したのは永谷宗円だもの。

JA広報通信5月号より

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