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お米と日本人【JAコラム】

2021年07月24日コラム

芳飯は丼物のルーツ

伝承料理研究家●奥村彪生

室町時代の公家や禅宗の僧侶の日記を読むと「法飯」とか「芳飯」「苞飯」と書かれたご飯料理らしい記述が出てきます。室町時代は、奈良時代から続いた魚介を包丁で美しく切って器に美しく盛る生食の刺し身文化と、禅僧が留学先の中国大陸から持ち帰った精進物をおいしくするために、だしや調味料を駆使して焼いたり煮たりあえたりする調菜の技術が合体して、日本料理が構成された時代です。それ以前はご飯の菜に直接味付けはしていませんでした。

その芳飯の実態を示す記録があります。安土桃山時代の奈良興福寺の子院、多聞院の記録です。1585(天正13)年3月13日(旧暦)によると、その夜来客が16人あり、小付けとして芳飯を作ってもてなしました。「豆腐、かんぴょう、こんにゃく、岩茸(いわたけ)」を煮て汁ごとご飯に掛けて出したのです。この頃はまだ丼鉢はありません。朱塗りの木わんでした。おそらく豆腐はつぶし、こんにゃくは短冊、岩茸は戻して千切りでしょう。だしはかんぴょうの戻し汁と昆布で、味付けは自寺製のしょうゆです。砂糖が少し入っていたかもしれません。

丼鉢の登場は元禄時代のようですが、小ぶりの丼を最初に使ったのが江戸のそば屋で19世紀初め。掛けそばに用いました。続いてうな丼。丼にご飯を盛り、その上にウナギのかば焼きを盛り、たれを掛けます。日本の食作法は器を手に持って箸で食べるのが基本。ご飯とおかずが一体になった丼物は至極便利。ファストフードとして発達しました。

明治に入ると牛鍋の具を載せた牛丼が登場し、今や人気絶頂。そして鶏肉の細切れを煮て卵でとじた親子丼は昭和の初め。やがて和製洋食の傑作である豚かつを丼だれで煮て卵でとじたかつ丼が1935(昭和10)年に誕生し、これまた人気食となっています。いずれもみな甘辛味です。江戸・東京の味の特徴です。これら丼物のルーツをたどれば、室町時代の芳飯にたどり着くのです。

JA広報通信6月号より

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